人生は「余白」に意味がある

こんにちは
栗山葉湖です。
 

新年と言えば
新しい年の抱負を述べる、もそうですが
学校へ行っているお子さんのいるご家庭では
「書き初め」をなさったり
していませんでしたか?

 

冬休みの宿題を
そろそろ仕上げないと・・・
な日程です。

 

私は小学校2年から大学1年生まで
10年間書道を習っていました。

 

(だからと言って
息子の書き初めを
代わりに書いたりは
しませんが
バレちゃいますので笑)
 

当たり前ですが
最初はお手本通り
一生懸命見よう見まねで書いてます。
 

そのときは自分の書いている
「字」
しか見えないんですよね。
 

年齢と経験が増すに従って
書いた字、または言葉の
並んでいる空間
 

半紙という切り取られた
四角い空間全体を
見渡すようになります。

それでも最初は書いた「字」の
方に意識が行っているのですが

だんだんに空間全体を
見渡せるようになってくると
そのうち「書」とは
書いた「字」の方でなく
「余白」に意味がある
のではないか

と思うようになりました。

 

「字」を書くのでなく
「美しい余白を見せるために
墨字で空間を切る」
のではないかと。

 

私が普段提唱している
「まず日常ありき」も
日常がその空間全体であり
人生そのもの。

 

そして心持ちが
人生の余白であり、
行動がその余白を美しくする
ための切り方

と捉えられるのではないかと思うのです。

マインドブロックバスターは
その「行動」を後押しするための
車で言えばエンジンをかけるために
キーをまわす程度。
 

あなたの人生という
美しい空間
あなたの行動という
切り口で
その余白
より美しくしてください。

 

マインドブロックバスターは
日常生活の邪魔にならない
そして日常生活の中で
すぐに活かすことのできるツール
 

だから全国にくまなく
必要な方がいる
マインドブロックバスターのできる
あなたを探しているのです。

インターネットのお陰で
近いから、でなく
「あなただから」
お願いしたいという人と
しあわせに出会える
ようになりました。

再現のあることを
徹底に教えています。

スリー・ピースで学んでください。

 

 
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