近くのできごとに人はだまりこむ
高校時代、国語の教科書でこんな詩を読みました。
風 石川逸子
遠くのできごとに
ひとはやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)
近くのできごとに
人はおそろしく
私たちは小さな船のようにふるえた
(吹いていった風)
遠くのできごとに
立ち向かうのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向かうのは近くの私たち
(あたりまえの唄を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった)
ーーーここまでーーーーーー
全文を覚えたのではなく
石川逸子さんがどんな人か?ということも
詳しく学んではいないのですが
「遠くのできごとに
人は美しく怒る」
「近くのできごとに
人はだまりこむ」
この2節は
「ああ〜そうなんだよなあ」と
痛烈に感じ
今でも時折想い出すのです。
この2節だけは忘れないのです。
そして「何だっけ〜あの詩」と
検索すると必ずこの全文と出会い直し
「近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
近くのできごとに
人はおそろしく
私たちは小さな船のようにふるえた」
ここにもう一度衝撃を受けるのです。
職場の人間関係でカラダの具合が悪くなるほど
毎日がツライ
小さい子どもと毎日向き合って
自分の時間がまったくなくて
子育ては素晴らしいことなんだから
いいお母さんじゃなきゃいけないんだって
自分で自分を苦しめて
手伝ってもらわなくたっていい
ただちょっと話を聞いてほしいだけの
夫から
「職場で毎日苦しい俺より
可愛い子どもと家にいられて
何の不満があるんだ?」
という顔をされながら
気のないあいづちを打たれている気がする
声をあげることもできない閉塞感が
あげたい声は
ただの贅沢やワガママじゃないの?と
自分さえ許すことができない
ニッポンでたくさんの人が苦しんでいる
「近くのできごと」。
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